今の声優養成所では想像しにくい指導かもしれません。
私は1991年4月から12月まで、勝田久先生が主宰していた勝田話法研究所に通いました。
そこで今でも忘れられない出来事があります。アテレコ実習でマイクの前に立ったとき、勝田先生から30センチ定規で頭を叩かれ、たんこぶができたことです。
現在の基準で同じような身体的指導を肯定するつもりはありません。しかし、1991年当時の私は、それを勝田先生による厳しい指導の一部として受け止めていました。
この記事では、「昔のスパルタ教育は良かった」と主張するのではなく、私自身が勝田先生からどのような指導を受け、当時どう感じ、約35年が経った2026年現在どう受け止めているのかを振り返ります。
厳しく叱られた記憶だけではありません。勝田先生と一緒に「スーダラ節」を歌って踊ったことや、当時の事務局で若き日の森川智之さんを見ていたことも、私の中に残っている大切な記憶です。
勝田話法研究所で受けた指導
私が勝田話法研究所に通ったのは、1991年4月から12月までです。
勝田久先生は、声優・俳優として活動する一方、後進の育成にも長く携わった方です。
私が通っていた当時、稽古場には独特の緊張感がありました。生徒が前に出て演じているとき、勝田先生は真剣にその芝居を見ていました。
少なくとも私が受けた指導は、間違いをやさしく指摘して終わるようなものではありませんでした。声や芝居に対して厳しく指摘されることがあり、先生から怒鳴られることもありました。
当時の私はまだ20歳でした。声優を目指して学んでいた私にとって、勝田先生は緊張せずにはいられない存在だったことを覚えています。
事務局にいた森川智之さん
1991年に私が通っていたころ、勝田話法研究所の事務局には森川智之さんがいらっしゃいました。
これは後から経歴を調べて知った話ではなく、当時そこに通っていた私自身の記憶です。
森川さんも勝田先生の教え子です。後年、森川さん自身も勝田先生のもとで厳しく指導を受けたことをインタビューなどで振り返っています。
現在は長く第一線で声優として活動し、声優事務所アクセルワンの代表も務めている森川さんですが、私にとっては「現在の有名声優」というだけでなく、1991年のあの場所で実際に姿を見ていた方でもあります。
もちろん、森川さんがどのような指導を受け、それをどう感じていたのかについて、私の経験から推測することはできません。
ただ、後にこれほど活躍する方が、同じ時期に勝田先生の近くにいたことを思うと、私にとっては今でも印象深い記憶です。
30センチ定規で叩かれた日
特に忘れられない出来事は、通っていた期間の終盤に行われた実践的なアテレコ実習で起きました。
私がマイクの前に立ったときのことです。
「近いだろうがッ!!」
勝田先生の大きな声と同時に、私の頭に30センチ定規がパシンと振り下ろされました。
軽く触れられた程度ではありません。私の頭には、たんこぶができました。
約35年が経った今でも、このときの光景を覚えています。
私がマイクへ近づき過ぎていたことに対する指導でした。当時の私は、マイクへ近づいて声を拾ってもらおうとするのではなく、自分自身からしっかり声を出すことを求められていたのだと受け止めました。
これは、定規で叩くという方法そのものに技術的な意味があった、という話ではありません。
ただ、当時20歳だった私にとって、その出来事と一緒に「マイクとの距離」を強烈に意識したことは事実です。
勝田先生と踊ったスーダラ節
ここまでの話だけを読むと、勝田先生について「怖い先生だった」という印象しか残らないかもしれません。
しかし、私の記憶に残っている勝田先生は、それだけではありません。
あるとき、勝田先生と一緒に植木等さんの「スーダラ節」を歌いながら踊ったことがあります。
厳しく指導され、緊張しながら稽古を受けていた先生と、一緒に歌って踊って笑う。30センチ定規で叩かれた記憶とはまるで違う場面ですが、どちらも同じ勝田先生との思い出です。
だから私は、勝田先生を「厳しい先生だった」という一言だけで振り返ることができません。
当時の私は、先生の厳しさの中にも、自分たちを表現者として育てようとする熱意があるように感じていました。
それはあくまで、1991年に直接指導を受けた私自身が当時どう感じていたかという話です。
今振り返るスパルタ指導
2026年現在の感覚で振り返れば、頭にたんこぶができるほど定規で叩く指導を、現在の声優志望者にも必要なものとして勧めることはできません。
身体的な指導を受けることと、真剣に芝居を学ぶことは別の問題です。
一方で、現在の価値観だけを使って1991年当時の自分の感情まで書き換えたくない、という思いもあります。
私は当時、勝田先生から本気で指導を受けていると感じていました。そして、厳しく叱られたことも、一緒に笑ったことも含めて、勝田話法研究所で過ごした時間を大切な経験として覚えています。
「叩かれて良かった」と一般化するつもりはありません。別の人が同じことを経験すれば、まったく違う受け止め方をするでしょう。
この記事で伝えたいのは、身体的な指導の是非について一つの答えを出すことではなく、1991年当時、声優を目指していた一人の20歳の青年が、実際にこのような指導を経験したということです。
あの日の経験から伝えたいこと
私が現在の声優志望者に伝えたいのは、「厳しい先生を選んだ方がいい」「怒鳴られても我慢した方がいい」ということではありません。
養成所へ通うなら、講師が何を教えようとしているのかを考え、自分から学び取ろうとする姿勢は大切だと、私は自分の経験から感じています。
同時に、指導方法に疑問や不安を感じたときまで、「プロになるためだから」と無条件に受け入れる必要はないでしょう。
私が勝田話法研究所に通った1991年と現在では、声優を取り巻く環境も、養成所のあり方も大きく変わっています。
それでも、私自身について言えば、あの日マイクの前で厳しく叱られたことは、現在も鮮明に残っている声優養成時代の記憶です。
これは現在の養成所でも同じ指導をするべきだ、という意味ではありません。それでも、勝田先生から本気で指導を受けたと私が感じた時間は、今も大切にしています。
勝田先生、あの日できた「たんこぶ」も含めて、私にとっては今でも忘れられない思い出です。

私は勝田話法研究所以外にも、東京アナウンスアカデミーやアミューズメントメディア総合学院など、複数の養成機関で学びました。声優を目指していた時期全体については、以下の記事にまとめています。
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