1991年、私は勝田話法研究所(後に勝田声優学院へ改名)で声優の勉強をしていました。
授業を受ける中で私が意識していたことがあります。それは、演技だけではなく、「自分にできることであれば、他の人がやらないことでも進んでやってみよう」ということでした。
授業で「誰からやる?」と聞かれれば、できるだけ一番に手を挙げる。授業の準備や裏方作業があれば、自分から動く。そして私は、クラス全員の自己紹介をまとめたシステム手帳用の「自己紹介リフィル」まで自分で作りました。
この自己紹介リフィルは勝田話法研究所で一度作っただけではありません。その後に通ったアミューズメントメディア総合学院(AMG)でも、毎年、クラスが変わるたびに作成しました。
発案から案内・記入用紙の作成、クラスメイトへの配布、回収、リフィルとして完成させるところまで、すべて私一人の手作業です。
35年後の現在も、当時作った自己紹介リフィルが手元に残っています。
この記事では、私が実際にどのようなことをしていたのか、そして同じ先生の授業で後に主役を任された経験まで、当時の資料と記憶をもとに振り返ります。
1991年に自己紹介リフィルを作成
自己紹介リフィルを初めて作ったのは、1991年に通っていた勝田話法研究所です。
私が一人で発案し、クラスメイトに記入してもらうための案内兼記入用紙を作りました。
それをクラスのみんなへ配り、書いてもらったものを回収します。そこからシステム手帳へ入れられる自己紹介リフィルとして完成させるところまで、すべて自分で行いました。
使ったのはB7サイズ・6穴のシステム手帳用リフィルです。当時は現在のようにパソコンやスマートフォンで簡単にクラス全員の情報を共有できる時代ではありません。私はワープロなどを使いながら手作業で作っていました。
完成したものはカラーの針金を使ってまとめ、一つの冊子のような形にしました。

上の写真は、実際に作った自己紹介リフィルのうち、私自身のページです。
現在見ると時代を感じる作りですが、当時のクラスでどのようなことをしていたのかを残す資料にもなっています。
発案から完成まで一人で行った
このリフィルは、学校側から「作りなさい」と指示された課題ではありません。
私自身が考えて始めたものです。
案内兼記入用紙を作ってクラスメイトへ配り、記入してもらったものを回収し、全員分をまとめる。その一連の作業を私一人で行いました。
クラスの仲間を知りたいという気持ちもありましたが、当時の私は、「他の人にはなかなかできないことを自分からやってみる。それが良い方向へ進むことにつながるのではないか」とも考えていました。
今振り返れば、それによって声優になれるわけでも、演技力が上がるわけでもありません。それでも当時の私は、自分から動くことを大切にしていました。
AMGでも毎クラス作り続けた
自己紹介リフィルの作成は、1991年の勝田話法研究所だけでは終わりませんでした。
その後、アミューズメントメディア総合学院(AMG)で学ぶようになってからも、私は毎年、クラスが変わるたびに同じような自己紹介リフィルを作りました。
その都度、自分からクラスメイトへ呼び掛け、記入用紙を配り、回収してまとめていました。
一度思いついて試しただけではなく、環境が変わっても繰り返していたことになります。
声優養成所で自己紹介リフィルを作ることが一般的だったという意味ではありません。少なくとも私の場合は、学校のカリキュラムではなく、自分自身で考えて行っていたことです。
授業では一番に手を挙げた
自己紹介リフィル以外にも、私が意識していたことがあります。
授業で先生から「誰からやる?」と聞かれたとき、できるだけ一番に手を挙げることです。
もちろん、一番に手を挙げたから演技が上手くなるわけではありません。また、一番手になれば講師から高く評価されると決まっているわけでもありません。
私の場合は、周囲に自分より演技の上手い人がいる中で、「演技以外にも、自分からできることはやってみよう」と考えていました。
他の人の演技を先に見れば参考にできることもあります。その一方で、私は最初に手を挙げることで、他の人を見てからではなく、その時点の自分が準備してきたものを出すことにもなりました。
一番手になることを声優になるための必勝法として勧めるつもりはありません。ただ、当時の私はそういう方法で授業へ積極的に参加していました。
裏方作業にも自分から参加
養成機関で受けた授業の中には、テレビドラマ形式のクラスもありました。
このクラスを担当していたのが竹内正男先生です。
私は演技をすることだけではなく、カメラの補助や備品の移動、掃除など、その場で必要になる裏方の作業にも積極的に参加していました。
「演技で目立つことだけが授業への参加ではない。自分にできることがあれば動こう」と考えていたからです。
自己紹介リフィルを作ったことや一番に手を挙げていたこととも、私の中では共通していました。
他の人がやらないことでも、自分にできるなら進んでやってみる。
それが当時の私なりの養成機関での過ごし方でした。
同じ先生の舞台で主役を任された
その後、同じ竹内正男先生が担当する舞台形式のクラスで、私は主役を任されました。
これは、私にとって養成機関で学んでいた時期の中でも強く記憶に残っている出来事です。
ただし、ここは事実と私自身の解釈を分けておかなければなりません。
竹内先生から「裏方作業を積極的にやっていたから主役にした」と言われたことはありません。
そのため、カメラの補助や掃除などをしていたことが、主役に選ばれた直接の理由だったとは断定できません。
事実として言えるのは、私は竹内先生のテレビドラマ形式の授業で裏方作業にも積極的に参加しており、その後、同じ竹内先生の舞台形式の授業で主役を任されたということです。
当時の私は、「他の人がなかなかやらないことでも進んでやれば、何か良い方向につながるのではないか」と考えていました。そのため、主役を任されたときには、それまで自分から動いてきたことも無駄ではなかったのではないか、と感じました。
しかし、それはあくまで私自身が当時感じたことであり、竹内先生が主役を決めた理由そのものではありません。
積極性だけで声優にはなれない
ここまで読むと、「一番に手を挙げたり、裏方を手伝ったりすれば評価されるのか」と思う人がいるかもしれません。
私はそういう意味で、この経験を書いているわけではありません。
自己紹介リフィルを作っても、一番に手を挙げても、掃除を手伝っても、それだけで演技力が身につくわけではありません。それによって声優になれる保証もありません。
実際、私は東京アナウンスアカデミー、勝田話法研究所、アミューズメントメディア総合学院など、複数の養成機関で合計約7年間学びましたが、最終的にプロの声優として活動を続けることはできませんでした。
だからこそ、「これをすれば主役になれる」「積極的ならプロになれる」という成功法則としては伝えたくありません。
私が伝えられるのは、声優を目指していた当時の自分が、演技の練習だけではなく、クラスの中で自分にできることを探して実際に行動していた、という経験です。
まとめ:私が養成所で続けたこと
- 1991年の勝田話法研究所で自己紹介リフィルを初めて作った
- 自己紹介リフィルは自分一人で発案した
- 案内兼記入用紙の作成、配布、回収、完成まで一人で行った
- その後のAMGでも毎年・毎クラス作成した
- 授業ではできるだけ一番に手を挙げるようにしていた
- テレビドラマ形式の授業では裏方作業にも積極的に参加した
- その後、同じ竹内正男先生の舞台形式の授業で主役を任された
- 裏方作業と主役抜擢の因果関係は本人から聞いていないため断定できない
- 当時は「他の人がやらないことを進んで行うことが良い方向につながる」と考えていた
- 積極性だけで声優になれるわけではないことも、現在は実体験から分かっている
私は演技に絶対的な自信があったから、こうした行動をしていたわけではありません。
むしろ周囲に上手い人がいる中で、「それなら自分にできることは何だろう」と考えた結果でした。
自己紹介リフィルを作る。一番に手を挙げる。授業に必要な作業があれば手伝う。
それらが声優になるための必勝法だったとは思いません。
それでも、1991年に始めた自己紹介リフィルをその後のAMGでも毎クラス作り続けたことや、同じ先生の授業で後に主役を任されたことは、私が声優を目指していた時代の実際の経験として今も残っています。
そして35年後の2026年になって実物のリフィルを見返すと、「自分にできることを探して、まず動いてみる」という姿勢で養成機関へ通っていた当時の自分を思い出します。