声優を目指して発声や滑舌を学んでいると、「外郎売(ういろううり)」という名前を耳にすることがあります。
私が外郎売の存在を初めて知ったのは、1989年に通った東京アナウンスアカデミー(TAA)でした。ただし、このときは「こういうものがある」と知っただけで、まだ習得していません。
本格的に取り組み始めたのは1991年。私が勝田話法研究所(後に勝田声優学院へ改名)で声優の勉強をしていたときです。
そこで私は外郎売の全文暗記に取り組み、約1か月で覚えました。
それから35年。毎日欠かさず唱えてきたという意味ではありません。しかし、1991年に本格的に覚えてから2026年まで、外郎売を一度も口にしなかった年はありません。
私は最終的にプロの声優にはなりませんでした。それでも、複数の養成機関で合計約7年間学んだ中で身につけた外郎売は、今でも何も見ずに暗唱できます。
この記事では、1991年に私がどのように外郎売を覚えたのか、当時受けた指導、そして35年間続けてきて感じていることを、実体験をもとにお話しします。
外郎売とは何か
外郎売は歌舞伎の演目として知られる長い口上で、現在では声優や俳優、アナウンサーなどが発声・滑舌の練習に用いることがあります。
早口で最後まで言うことだけが目的ではありません。さまざまな音を明瞭に発音しながら、呼吸、発声、言葉の流れなどを意識して練習できます。
私自身も、外郎売を単なる早口言葉としてではなく、声を出すための基礎練習の一つとして長く付き合ってきました。
TAAで外郎売を初めて知る
私が外郎売というものを初めて知ったのは1989年です。
当時18歳だった私は、新聞奨学生として働きながらコンピュータ専門学校へ通い、さらに1989年4月から半年ほど、日曜日に東京アナウンスアカデミー(TAA)で声優の勉強をしていました。
TAAでも外郎売というものがあることは教えられました。ただ、当時の私は存在を知っただけで、全文を覚えるところまでは取り組んでいません。
新聞奨学生、専門学校、TAAを並行する生活は体力的に厳しく、私は半年ほどでTAAを退所しました。
1991年に外郎売を本格習得
外郎売と本格的に向き合うことになったのは、それから約2年後です。
新聞奨学生を1991年3月に終えた私は、同年4月から勝田話法研究所へ通い始めました。
勝田話法研究所は、その後「勝田声優学院」へ名称が変わった養成機関です。私は1991年4月から12月まで、勝田話法研究所時代に通いました。
そこで本格的に取り組んだものの一つが外郎売でした。

上の写真は、私が当時実際に使っていた『演技話法テキスト』です。
現在まで手元に残しているこの教材を使い、私は外郎売の全文暗記に取り組みました。

外郎売を約1か月で暗記
私は外郎売を約1か月かけて全文暗記しました。
ただ文字を目で追うだけではなく、声に出しながら何度も繰り返しました。
私の場合は、一音一音を意識すると同時に、言葉の強弱や文章全体の流れをつなげて覚えていきました。
長い文章でも、何度も声に出しているうちに「次はこの言葉が来る」という流れが体に入ってきます。私にとっては、それを少しずつつなげていくような感覚でした。
これは「1か月あれば誰でも暗記できる」という意味ではありません。私自身が1991年に取り組んだとき、約1か月で全文を覚えたという体験です。
野沢雅子先生から受けた指導
勝田話法研究所では、野沢雅子先生から直接指導を受ける機会もありました。
外郎売について、私が今でも特に覚えているのが、「最小限の息継ぎ回数で読み切る」という趣旨の指導です。
実際にやってみると簡単ではありません。
どこで息を吸うのか、どのくらいの息を使うのかを考えながら、長い口上を途切れさせずに進めていかなければなりません。
私はこの指導を受けたことで、外郎売をただ暗記して言うのではなく、息の使い方まで意識して読むようになりました。
これは1991年に私自身が勝田話法研究所で受けた指導についての記憶です。現在の声優養成所で同じ方法が指導されているという意味ではありません。
35年間口にしなかった年はない
1991年に覚えてから2026年まで、35年が経ちました。
ここで誤解のないようにお伝えすると、私は35年間、毎日欠かさず外郎売を唱えてきたわけではありません。
それでも、外郎売を一度も口にしなかった年は、この35年間で一度もありません。
通勤途中、風呂、家事をしているときなど、ふと思い出して口にすることがありました。
長い間繰り返してきたため、今でも原稿を見ずに暗唱できます。
一度覚えたものでも、使わなければ忘れていきます。私の場合は、声優を目指す生活を終えた後も、ときどき声に出し続けたことが、外郎売を現在まで覚えている理由の一つだと感じています。
マジシャン時代にも役立った声
声優を目指して学んだ発声や滑舌は、その後まったく別の場所でも役立ったと感じることがありました。
私はその後、マジシャンとして活動していた時期があります。
当時、周囲のプロマジシャンから、
「どうすれば、そんなに後ろまで通る声が出るのか?」
と尋ねられることが何度もありました。
マジック関係の書籍に付属するDVDへマジシャンとして出演したこともあります。
マジックでは技術を見せるだけでなく、お客様へ話しかけ、現象を説明し、注意を向けてもらう必要があります。そのとき、相手まで言葉を届ける「声」が大切であることを実感しました。
私の声が通る理由を外郎売だけに求めることはできません。養成機関で受けた発声練習や、その後のさまざまな経験も関係しているでしょう。
それでも、声優を目指して身につけた発声や滑舌の基礎が、別の表現活動でも役立っていると感じた出来事でした。
35年続けて感じる練習のコツ
35年間外郎売と付き合ってきた私が、これから練習する人に伝えられることがあるとすれば、最初から速さを求めすぎないことです。
私自身も、最初から滑らかに全文を言えたわけではありません。
一音一音を声に出し、言葉のまとまりを覚え、それを少しずつつなげていきました。
- 最初から速く読もうとしない
- 一音一音を意識して声に出す
- 短いまとまりから少しずつ覚える
- 息を吸う位置を意識する
- 覚えた後も、ときどき声に出す
これは「これが唯一の正しい外郎売の練習法」という意味ではなく、私が実際に覚え、その後35年間続けてきた経験から感じていることです。
発音や発声について専門的な指導を受けられる環境にいる人は、自分だけで判断せず、講師から指摘された癖を確認しながら練習することも大切でしょう。
外郎売は声優を目指した証の一つ
私は最終的にプロの声優にはなりませんでした。
それでも、東京アナウンスアカデミー、勝田話法研究所、アミューズメントメディア総合学院など、複数の養成機関で合計約7年間学びました。
当時使っていた教材や台本も手元に残っています。そして、1991年に本格的に覚えた外郎売も、2026年の今、何も見ずに暗唱できます。
私にとって外郎売は、声優を目指していたころの思い出というだけではありません。
今でも実際に声に出せることが、当時学んだものと現在の自分がつながっていると実感できる一つの証になっています。
まとめ:35年後にも残った外郎売
- 外郎売の存在を初めて知ったのは1989年のTAA
- TAA在籍時にはまだ外郎売を習得していなかった
- 本格的に取り組んだのは1991年の勝田話法研究所
- 当時使用した『演技話法テキスト』を現在も保管している
- 外郎売の全文を約1か月で暗記した
- 野沢雅子先生から息継ぎを意識した指導を直接受けた
- 1991年から2026年まで一度も外郎売を口にしなかった年がない
- 現在も原稿を見ずに外郎売を暗唱できる
- 声優を目指して学んだ発声はマジシャンとして活動した際にも役立ったと感じている
- プロの声優にはならなかったが、当時身につけたものは35年後の今も残っている
声優を目指していると、「早く上達したい」「早くデビューしたい」と焦ることもあると思います。
私自身は声優になるという目標を実現できませんでした。それでも、当時取り組んだ基礎練習がすべて無駄になったとは思っていません。
1991年に覚えた外郎売を、35年後の2026年にも暗唱できる。それは私にとって、声優を目指して本気で学んだ時間が今にも残っていることを実感させてくれるものです。
これから外郎売に取り組む人も、まずは速さや格好よさを求めるのではなく、一つひとつの言葉を声に出すところから始めてみてください。