「声優になりたい。でも、レッスン料や生活費まで自分で用意するのは難しい……」
私も18歳で声優を目指し始めたころ、経済的な問題を抱えていました。
そこで選んだのが、住み込みで新聞配達などの仕事をしながら学校へ通う「新聞奨学生」という道です。
私は1989年4月から1991年3月までの2年間、新聞奨学生として生活しました。平日はコンピュータ専門学校へ通い、さらに1989年4月から半年ほどは、日曜日に東京アナウンスアカデミー(TAA)へ通って声優の勉強もしていました。
朝は3時30分に起き、約370部の朝刊を配達。学校から戻れば夕刊があり、月末には集金もありました。
新聞奨学生をしながら声優を目指すことは、私自身は実際に経験できました。しかし、新聞配達、専門学校、声優の勉強を同時に続ける生活は想像以上に厳しく、TAAは体力的な限界から半年ほどで退所しています。
この記事では、1989年から2年間、新聞奨学生として過ごした私の実体験を振り返ります。また、現在の新聞奨学生制度は当時と異なるため、2026年現在の朝日奨学会の公式情報もあわせて紹介します。
新聞奨学生の1日は3時30分起き
新聞奨学生だった当時、私の1日は朝3時30分から始まりました。
1989年当時の私の生活を振り返ると、おおよそ次のようなスケジュールです。
| 時間 | 当時のスケジュール |
|---|---|
| 03:30 | 起床。専売所で朝刊の配達準備・配達 |
| 07:30 | 配達終了。専売所へ戻って朝食 |
| 08:30 | コンピュータ専門学校へ |
| 13:30 | 帰宅。休憩または集金など |
| 16:00 | 夕刊配達 |
| 18:00~ | 集金、自分の時間、翌日に備えて就寝 |
さらに1989年4月から半年ほどは、日曜日の午前10時から12時30分まで東京アナウンスアカデミー(TAA)へ通っていました。
つまり当時は、新聞奨学生としての仕事、コンピュータ専門学校、TAAでの声優の勉強を並行していたことになります。
自由に使える時間はかなり限られていました。それでも18歳だった私は、経済的な事情だけで声優を目指すことを諦めたくありませんでした。
約370部をバイクで配達
私が担当していたのは約370部でした。配達にはヤマハ・メイトという原付バイクを使っていました。
新聞配達で大変だったのは、早起きだけではありません。雨の日もあれば、冬には路面が凍結することもあります。
雪道で転倒した朝
今でも覚えているのが、雪が降った日の配達です。
タイヤにチェーンを巻いたヤマハ・メイトで走っていたところ、新聞の重みもあってバランスを崩し、凍結した路面で転倒してしまいました。
積んでいた新聞が路上に散らばりました。
冷たい雪の中、かじかむ手で新聞を拾いながら、
「何やってるんだろう、自分……」
と情けなくなったことを覚えています。
まだ周囲が静まり返っている早朝です。それでも新聞を待っている家庭がある以上、拾い集めて配達を続けなければなりませんでした。
集金で経験した忘れられない出来事
私にとって配達とは違う大変さがあったのが、月末の集金でした。
夜に訪問しても留守という家庭があります。何度も足を運ばなければならず、未払いを避けるため、学生だった私が自腹で立て替えたこともありました。
今でも忘れられない出来事があります。
あるお客様から「新聞が届いていない」と連絡があり、私は再配達に向かいました。
ところが、外からポストの投函口を確認すると新聞が入っています。先に入っていた分厚い通販カタログの後ろに新聞が引っ掛かり、見えなくなっていたようでした。
新聞が見つかれば分かってもらえると思ったのですが、その方から返ってきたのは「どうしてそういう小細工をするんだ!」という怒りの言葉でした。
私は悔しくなり、
「神様に誓ってそんなことはしていません!」
と大きな声で訴えました。しかし信じてもらえず、最後には「帰れ!」と言われました。
当時はただ悔しい出来事でした。ただ、今振り返ると、集金では年齢も性格も異なる多くの人と直接話しました。さまざまな人の話し方や感情に触れたことも、新聞奨学生時代の記憶として残っています。
配達中にも台詞を覚えていた
新聞配達に使う時間が長いからといって、声優になるという目標を忘れていたわけではありません。
私は当時、配達中に台詞を口に出して覚えることもありました。
限られた時間の中で、少しでも声優の勉強につなげたかったのだと思います。
ただし、これは1989年当時の私がしていたことを振り返っているだけです。バイクを運転するときは安全確保が最優先であり、現在の声優志望者に運転中の発声練習を勧めるものではありません。
TAAは半年ほどで退所
新聞奨学生として生活を始めた1989年4月、私は東京アナウンスアカデミー(TAA)にも通い始めました。
日曜日の午前中に声優の勉強をしていましたが、平日は新聞配達と集金をしながらコンピュータ専門学校へ通う生活です。
結局、体力的に限界を感じ、TAAは半年ほどで退所しました。
声優になることを諦めたわけではありません。しかし当時の私には、新聞奨学生、専門学校、声優養成所の3つを同時に続けるだけの体力がありませんでした。
TAAを辞めたことには悔いが残りました。それでも、新聞奨学生自体を半年で辞めたわけではありません。
新聞奨学生は1991年3月まで、2年間続けました。
TAAで知った外郎売
TAAに通っていたころ、声優の発声・滑舌練習で使われる「外郎売(ういろううり)」というものがあることも知りました。
ただし、この時点で私は外郎売を習得していません。
私が外郎売へ本格的に取り組み始めたのは、新聞奨学生を終えた後、1991年4月から通った勝田話法研究所です。
その後、外郎売は長く続けることになります。私と外郎売との関わりについては、別の記事で詳しく振り返っています。
2年間で私に残ったもの
新聞奨学生を始める前の私は、決して体力に自信がある人間ではありませんでした。
それでも朝3時30分に起き、約370部を配達し、学校へ行き、夕刊を配り、集金もする生活を2年間続けました。
2年間を終えたころには、始める前より体力がついたと自分でも感じました。
それ以上に残ったのが、「あの2年間を乗り越えた」という自信です。
TAAとの両立はできず、半年ほどで退所しました。その意味では、何もかも思いどおりにやり遂げた2年間ではありません。
それでも新聞奨学生そのものは1991年3月まで続けました。つらいことがあったとき、「新聞奨学生の2年間をやり切った」という経験を思い出すことがあります。
私にとって新聞奨学生生活は、声優になるための特別な訓練だったわけではありません。しかし、18歳から20歳にかけて経験したこの2年間が、その後の人生に残したものは大きかったと感じています。
現在の新聞奨学生制度は違う
ここまで紹介したのは、1989年4月から1991年3月までの私自身の体験です。
現在の新聞奨学生制度が、当時とまったく同じという意味ではありません。
2026年現在、朝日奨学会では、ASA(朝日新聞販売所)で仕事をしながら大学や専門学校などへ通う人を対象に、返済不要の奨学金、毎月の給与、住まいの支援などを用意しています。
勤務方法についても、朝夕刊の配達と集金を行うコース、朝夕刊の配達を中心とするコース、朝刊配達と集金を行うコースなどがあります。
一方、勤務時間や具体的な業務内容は勤務するASAによって異なります。現在利用を検討する場合は、私の約35年前の体験だけで判断せず、最新の公式情報と実際の労働条件を確認してください。

新聞奨学生を考える人へ
「お金はないけれど、学校へ行きたい」「声優になるための勉強も続けたい」という人にとって、新聞奨学生は現在も選択肢の一つになり得ます。
ただ、私自身が経験したからといって、誰にでも新聞奨学生をおすすめすることはできません。
私は新聞奨学生と専門学校を続けながらTAAにも通いましたが、体力的な限界から半年ほどでTAAを辞めています。やる気だけでは解決できない部分があることを、私自身が経験しました。
声優養成所などとの両立を考えるなら、少なくとも次の点は事前に確認した方がよいでしょう。
- 朝刊・夕刊・集金など、どこまでが自分の業務になるのか
- 実際の始業時刻と終了時刻
- 学校や養成所への通学時間を確保できるか
- 睡眠時間を確保できるか
- 休日や休息時間をどのように確保するのか
- 住居や給与、奨学金の条件
- 途中で続けられなくなった場合の取り扱い
特に「声優養成所にも通う」という場合は、養成所の時間割だけでなく、発声や演技の自主練習に使える時間まで考えておく必要があります。
まとめ:私の新聞奨学生2年間
- 私は1989年4月から1991年3月まで新聞奨学生だった
- 平日はコンピュータ専門学校へ通っていた
- 1989年4月から半年ほどは日曜日にTAAへ通った
- 朝は3時30分に起き、約370部を配達していた
- 夕刊配達や月末の集金も経験した
- 雪道でヤマハ・メイトごと転倒したこともある
- TAAとの両立は体力的に限界となり半年ほどで退所した
- 新聞奨学生自体は2年間続けた
- 外郎売はTAAで存在を知り、本格的な習得は1991年の勝田話法研究所から始めた
- 現在の新聞奨学生制度は当時と異なるため最新条件の確認が必要
新聞奨学生をしていたから声優になれるわけでも、厳しい生活に耐えれば声優業界で成功できるわけでもありません。
それでも私にとって、18歳から20歳にかけて過ごしたこの2年間は、その後の人生で何度も思い出す経験になりました。
経済的な事情があっても、夢を目指す方法が一つしかないわけではありません。新聞奨学生もその選択肢の一つですが、自分の体力、学校生活、睡眠、声優の勉強に必要な時間まで含めて考え、自分に合う方法かどうかを判断してください。
私がその後も声優を目指して学び続けた経緯については、以下の記事でまとめています。